岡山-大阪-東京をママチャリで自転車旅してみた(総距離770km)

旅・移住のこと

どうも旅ブロガーのノブです。

先日妻から自転車を買い替えを打診され、非常に悩んでいます。来春に東京都足立区から神奈川県川崎市に引っ越す予定です。

僕が今使っている自転車は高校入学時(2001年4月)に買ったもので、かれこれ18年目に突入しました。いまでもしっかり動いています。

7年前、地元岡山から東京まで自転車旅をしたことがあります。

ハードな旅になったおかげで今でも旅の道程を逐一覚えています。

飛行機や新幹線で移動すると、目的地までの距離感が実感として掴めません。自分の足で走った場所ってはやはり忘れないものですね。

今回の記事はこれから自転車で長距離旅をしようと思う人に向けて書きました。

2011年の情報ですが、今でも有効です。今はスマホが普及しているのでもっと楽に行けます。

きっかけ

2011年3月に仕事を辞める。

厚労省のボランティア員として被災地に派遣される予定だったが一向に召集されない。
日々身体を鍛えていたものの力を発揮できるのかもわからない宙ぶらりんな状態。

そんなとき高野秀行『神に頼って走れ! 自転車爆走日本南下旅日記』 (集英社文庫)という本に出会いました。

2007年1月、ある願いをかなえるため著者は愛車キタ2号にまたがりお遍路の旅に出た。あらゆる神仏に祈りつつめざすは日本最南端の島・波照間。参るは、饅頭の祖神、野球塚、たぬき大明神、鯖大師に摩崖クルス、世界遺産の聖地・斎場御嶽。四万十川でカヌー、波照間で釣りにも挑戦。それは日々が驚きに満ちた日本再発見の旅。寒風の冷たさが人情の温かさが染みる感動の旅。愉快爽快な55日間の写真日記。

ちょうどこの頃は高野氏の著作にハマり片っ端から読破しました。僕の中の冒険欲が刺激されていました。
この年の秋にはイスラエルに渡航することになるのですが、高野氏の影響も少なからずあります。

自転車旅の準備

必携品

ヘルメット、リュック(レインカバー付き)、パンク修理キット、走行メーター、腕時計G-SHOCK一択、身分証、ワセリン。ツバ付きキャップ(雨よけ)、電池式のスマホバッテリー。

必要に応じて

寝袋。雨合羽。スマホスタンドを用意しましょう。

パンク修理は練習しておこう

いつどこでパンクするかはわかりません。峠の途中でパンクすることだって起こり得ます。慣れてくると、15分くらいで直せるようになります。
100均に売っているスプレーボトルに洗剤と水を入れておくと便利です。
パンク修理の際にバケツに水を張らなくても穴を見つけることができます。

出発日までに何度か自転車をバラして練習しました。

なるべくリュックは背負わない

両サイドにつけるか、荷台に置くか。(僕は通学用自転車なのでカゴに入れた)

背負うとびっくりするほど疲れます。

相棒を紹介

普通の自転車

僕が使った自転車です。驚くなかれ、普通の自転車です。

ブリヂストン・アルベルト。3段ギア(旅2日目に壊れて2段階になる)。

無知であればこそ

大学時代に自転車部だった友人からは「普通の自転車で行けるわけない」と言われていました。

やはりこういう時に無知の強さがわかります。

僕はロードバイクに乗ったことすらなく、一日100km以上の移動をしたことがないので、どれくらい大変かということは知りませんでした。もし知っていたら挑戦すらしなかったか、あるいはロードバイクを買ってからと考えて時機を逃していたかもしれません。

走行時の注意

1. 車道の左側を走ろう。

僕がこの旅を終えた数ヶ月後、全国的に「基本的に自転車は車道を走るべし」というルールが定まりましたが、当時は歩道を走る自転車が多かったです。

長距離をスピードを出して走る場合は車道を走りましょう。歩行者をひかないという理由もありますが、歩道の路面には凹凸が多くパンクを起こしがち。

2. ワセリンをこまめに塗ろう

長距離走っていると、股ずれが起こります。2時間に一回は塗り直し、たっぷり塗りましょう。

3. 夜はなるべく避ける

夜の国道はトラックがガンガン飛ばして走っているのでとても怖いです。

なるべく朝から走って夜にはのんびりする方がいいでしょう。

4. 上り坂で頑張りすぎない

乳酸がたまると一気に疲れます。「この程度なら頑張れる」、「あともう少しだから踏ん張ろう」という気持ちでちょっと頑張ったばかりに乳酸がたまり、一気にペースが落ちるということがあります。
無理せず時には自転車を押して進みましょう。

5. 国道1,2号は自動車専用道路があるので注意

これは看板に注意するしかありません。最近のGoogleMapだと、歩行者で設定すれば車両しか走れない道を外してくれるそうです。

宿泊の注意

僕は野宿をしたので寝袋を持って行きましたが、あまりお勧めしません。重くなりますし、下に敷くシートも必要なので、重量が増します。
安く済ませるならネットカフェがオススメです。シャワーもありますし。

初日にどうしても動けなくなり潰れたラブホの駐車場に寝ましたが、私有地はよろしくありませんね。
野宿をするときは道の駅、公園、河原などを利用しましょう。

ルートは意外と簡単

岡山から国道2号線を進み、大阪へ。大阪市曽根崎で国道1号線に接続、それから東京・日本橋までずっと国道1号線を通る。

バイパスになっていて自転車が走れないところも多々ありますが、必ず近くにバイパスに並行する迂回路があります。(兵庫県は両者が離れている場合がいくつもあるので注意が必要)

寄り道をしたりショートカットしましたが、基本的にはこのルートをたどって東京に行きました。

豆知識

よく道路標識などで「東京まで◯◯km」という表示がありますが、あれは、中央区日本橋のことを指します。昔の東海道のスタート地点です。

難所3ヶ所をチェック

大阪―東京を自転車で移動する際に立ちはだかる難所3つ

1. 箱根峠(静岡県)

もう圧倒的な存在。詳しくは後ほど。

2. 鈴鹿峠(三重県)

思ったほどきつくはなかったが注意。山裾から山腹にかけてがなだらかなので、気づいたらすでに高い位置に登っていた。

3. 逢坂(滋賀県)


山科と大津の間にあります。
ここは伏兵。ライダーのブログなどにも注意するように書かれていません。僕は二日目の朝にここに差し掛かりましたが、思った以上に体力を削られ、乳酸地獄のまま走ることになりました。

 

さて、ここから全日程の模様をお伝えします。

1日目 岡山県和気郡〜大阪府枚方市

出発時の僕


2011年6月18日(土)

7:45 気合を入れて出発

梅雨真っ只中。奇跡的に雨が降らなかったのでこの日しかないと出発。
しかし、これは判断ミスでした。結局この日の午後から4日目の夕方までずっと雨に打たれ続けることになりました。。。

8:30 兵庫県に入る
相生から赤穂に抜ける予定が、間違えてバイパス(自転車は走行できるが危険)に入り、そのまま上郡へ。その後龍野、姫路の手前あたりでバイパスの迂回に迷い、何度か行ったり来たりした。

13:00明石大橋を通過。

ガストのサラダバーを食べる。この辺りから雨が降り始める。

15:30神戸市街地
信号が多く毎度交差点で止まる。路駐車も多く走りにくい。

17:30 曽根崎(大阪駅前)に着く

ここから国道2号線から国道1号線に切り替わる。東京まで残り560km

18:00 大阪市京橋着
友人Kの学習塾でしばし休憩。現在僕が集客を担当している学習塾でもある。
生徒さんから「なんでそんなことしてるんですか?」という疑問にうまく答えられなかった。

20:00 宿探し
そこから怒涛の雨。肌に刺さるような雨。前が見えない。
国道1号を北上しながら宿探しに入る。

22:00 宿見つからず野宿

国道1号線から外れていないところを探したがなかなか見つからず。右往左往。この日の実走行距離も170kmを超えたため止まる。潰れたラブホの駐車場跡にて野宿。

2日目 大阪府枚方市〜三重県四日市市

7:00起床

こんなところで寝ていました。前日の移動と野宿による疲労で背中が痛い。

7:30出発。30分ほどで京都市街地。

観光しようかなと思いつつ、朝からのんびりするわけにはいかないので、そのまま通過。間も無く滋賀へ。

9:00 伏兵現る

逢坂の関で体力を奪われる。微妙な坂だけに降りて押すほどでもない。舐めていました。下る頃には足がパンパン。乳酸がたまりすぎて、平坦な道でも重く感じるようになる。
11:30琵琶湖のほとりを通過し、草津市の王将で食事。食べまくり。

鈴鹿峠

気づいたら半分以上登っていた。途中にこんな標識がありました。なんの参考になるのかよくわかりませんが。

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18:45 鈴鹿峠を降る。下り坂でワンボックスカーに煽られ、口論になるというちょっと面倒なこともあった。

そこからはのんびり。午前中の疲労の負債がきいて、この日はあまり飛ばせなかった。

四日市に着く。雨も強く。高架下で野宿。あたりがすごいションベン臭かったので、段ボールを敷いて寝る。

3日目 三重県四日市市〜静岡県浜松市


9:00出発
10時くらいに名古屋市の手前に入る。

早く着きすぎてしまう懸念発生

ここで先輩Fさんに電話を掛ける。
1週間後に東京に着くので泊らせてもらうことになっていた。このペースだと明後日には着いてしまう。。。
Fさん「なるべく早めに帰れるように用事済ませるよ」
ありがたいお返事。早く着きすぎたらネカフェで何日か過ごしてもいいかなと思っていた。

軽い股ずれを起こしたが、ワセリンを塗りたくって進む。

愛知はほとんど覚えていない。名古屋の運転。ト○タ社の車両搬送車に煽られる。ちょうどこの三ヶ月前にトヨタ車を廃車にしたので呪いだったのかもしれない。

19:00 静岡に入る

夕食は小さな食堂で。地元の人しかいない店。「なんか変な奴が入って来た」という感じで不審者に見られる(事実ですが)。

この日も野宿。地下道のようなところで寝ました。

4日目 静岡県浜松市〜静岡県沼津市


この日はオール静岡。

静岡長い!全行程の3分の1は静岡県だった。

スタート直後にパンク。15分で処理。練習しておいてよかった。

11:30 浜岡原発

3.11東日本大震災が起こってから3ヶ月後。原発排除のムードが高まっていた。せっかくなので南下して御前崎に向かう。
そもそも静岡の国道1号は複雑なので、それを避けるという目的もあった。

浜岡原発が近づいてきた。風力発電。エヴァンゲリオンにあるような風景。遠くて小さく見えますが、この一つ一つの風車は巨大です。(半径15mくらい)

防風林がなく自転車道に砂がたまって走りにくかった。

浜岡原発

近くには寄れませんでした。

15:15焼津 大崩海岸


ここは迂回した方がいいかもしれない。
微妙に短いトンネルが続き、カーブも続くのでドライバーの死角に入りやすい。
名前が何たって「大崩」ですから、かなり警戒して走った。

16:00富士山が見えたよ。


感動。まだまだ走ります。途中標識を見落として自動車専用道を走ったり、富士市で迷うなど。

16:30 登呂遺跡

この度唯一の観光。ごめんなさい。ただの田んぼにしか見えなかった笑

夕方から雨が一時的にやむ。

20:00 沼津のビデオ店

三島まで行くか悩むも、沼津の個室ビデオ店にイン。疲れすぎていたので、抜いたりなどしておりません。

最終日 静岡県沼津市〜東京都中央区日本橋

箱根峠ルートを選択

箱根峠を通るか、御殿場方面に迂回するか迷う。やっと雨が上がる。

壮絶な闘い。登りだけで14kmあった。最初の3kmは頑張って漕いだけど、朝だし乳酸がたまって動けなることを憂慮し、押して登ることに。
この旅で最もきつかった。

ロードバイクでトレーニングをしている人たちが後ろから僕を追い越し、お互いにエールを送る。途中車に乗ったおじさんも「にいちゃん、頑張って!」と声をかけてくれた。

深い森の奥に富士山が垣間見える。

芦ノ湖のほとり

観光バスがたくさん停まっている。
白人の団体客がたくさんいて、「何しているんですか?」と何人も訊かれる。
「トレーニング」と答えると、「この自転車で? それは寝袋は?」とつっこまれるも、当時は英語がさほど話せなかったので微笑んでごまかす。

12:50 箱根山頂。

山裾から4時間近くかかってやっと頂上へ。ここから神奈川県入り。

神奈川側の山腹は傾斜が急。数時間かけて登った道を20分くらいで下山。50km/h近いスピードが出ていた。みなさん自転車に気をつけましょう。

14:00小田原市
小田原まで一気に進む。泊めてもらう予定のFさんに電話。今日中に岡山から東京に戻れそうとのこと。

16:30茅ヶ崎

湘南海岸にて疲労を癒す。30分ほど居眠り。

20:00東京にはいる

戸塚、横浜駅のあたりを進んだところでまた雨が降りはじめる。


大田区に入ったところで、Fさんから連絡。

「今家に着いたよー」

僕が4日半かけてきた距離をFさんは3時間半で移動。

新幹線おそるべし。

でもよく考えると、昔の人は自転車さえなかったのだから、3日半で大阪から東京に来ることもすごいことなのだ。

参考記事:
日本びより『江戸時代の飛脚のスピードは実は〇〇だった! 最速だったその理由とは?』

21:00銀座を通過

銀座に来たのは初めて。タクシーが行列をなして車幅が狭くなっている中、手信号を使って縫うように走る。

21:20時。日本橋着。

肝心のゴール地点の画像がいいものがありませんでした。当時のガラケーで撮ったもの。

総走行距離770km

無事に達成

あっという間だった。家族と友人に無事についた報告をする。

Fさんの家に移動

そこからFさんに連絡。Fさんが住んでいるのは、板橋区。意外と距離があったけど、これまでの道程を思えばへっちゃら。一気に移動。

「お疲れ様!」と板橋区役所前でFさんと会う。
Fさんはカメラマンなので、写真を撮ってもらえば良かった!と後悔)

Fさん宅に移動しシャワーを浴びて一息ついて食事に。

その後Fさん行きつけのバーに行き、朝4時まで飲む。アットホームなバーなので、僕の話で常連客の人たちから色々訊かれる。盛り上がる。
ここでもまた訊かれるあの質問

「なんで東京まで自転車でこようと思ったのですか?」

なぜでしょうね。いまだに理由はわかりません。

お店を出る頃には強制的に瞼が落ちはじめる。家に着いてからの記憶がない。翌朝Fさんから「すげーいびきだったよ笑」とのこと。

これで僕の自転車旅は終わりを迎えました。

後日譚1:自転車のその後

本当は2011年3月に東京に引っ越すつもりでした。
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この後岩手にボランティアに3ヶ月行き、10月にはイスラエルに渡航しました。その後、岡山、大阪で生活を送り、2015年4月に東京に引っ越すまでの約4年間、Fさんのアパートに眠り続ける。よく考えると、相棒は僕よりも4年も東京暮らしが長い。

買ってから18年経過している今でも現役です。毎週末カフェの往復に使っています。

後日譚2:Fさんも同じ挑戦

僕が自転車旅に挑戦したのが6月半ば。この3ヶ月後にFさんも同じ距離を自転車で移動しました。僕とは逆ルート(東京⇒岡山)。

Fさんはロードバイクなのでリュックを背負って走ったそう。かなり背中にきたとおしゃっていました。

この2ヶ月後には僕は岩手で体育館を拠点にボランティアを従事し、Fさんも5日間ほど岩手に来ました。岩手のボランティアの話もいずれ書こうと思います。

また僕がイスラエルに旅立ったのと同じ頃にFさんはキューバにひとり旅に行きました。僕はその話を聞いていたので、ずっとキューバに行きたいなと思っていて、昨年(2017年)に新婚旅行でキューバに行きました。

今も多大な影響を受けていますが、いずれFさんにこのブログを教えたいと思っています。

最後に

なぜ人は旅をするのか。なぜ敢えて困難なことをしようとするのか。

いまだにわかりません。

この旅で多くのことを得たという実感はあります。事前のトレーニングだったり、下調べだったり、道を聞いたおじさんの優しい言葉だったり、飲み会のネタでこの旅が使えるとかだったり、色々あります。

でも、苦しさの中で時折現れる生きている実感はうまく言葉で表現できません。
こういうのはやってみないとわからないことが多いのです。この記事はこれから自転車旅をする人の役に立ったり、中には「自分もやってみたい」と思ってくれる人のモチベーションになるかもしれない。

でも完全に気持ちを伝えきるとか、共有するということはできないんじゃないかと。

さらにいうと、やった人でも感じ方が違うので、一般化はできません。

そもそも共有なんてする必要もないと思いますし。

やってみれば、後悔と感動と達成感と寂しさを感じられるのは確かです。

やり始めてすぐに「あーこんな大変なことやるんじゃなかった」と後悔するくらいのことの方が後々の人生で財産になるのではないかと思います。

それは役に立つといったものではありません。困難なことに直面したときに、振り返ってじんわり己の心を温める、そんな曖昧なもの。

久々に自転車旅に出たくなりました。今はサラリーマンなのでなかなかまとまった時間を取るのは難しいですが、また挑戦してみたいと思います。

それではまた。

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