今年のW杯@ロシアでは、フランスが見事に優勝しましたね。

日本はベスト16で終えましたが、2010年の南アフリカ大会につぐ好成績でした。

その中で1次リーグのポーランド戦は賛否両論を引き起こす試合で、連日ニュースで取り上げられましたね。私見ですが、あの騒動について語りたいと思います。

関連記事:BBCニュースJAPAN
『【サッカーW杯】日本、ポーランドに敗北も警告数の差で決勝T進出』

1. 概要と問題点

概要

まず試合を見ていない人のためのまとめ。

  1. 6/28に行われたW杯1次リーグ日本vsポーランドにおいて、日本は0-1で終盤を迎える。
  2. 勝ち、引き分けで自力での決勝リーグ進出。負けた場合は同順位のセネガルの勝敗によって決まる。
  3. 同時刻に行われていたセネガルvsコロンビア戦が継続する中、セネガルが0-1で負けている状況を見て、日本はキャプテン長谷部選手を投入。一切攻めずに陣地内でボールを回し、0-1のまま試合終了を待った。
  4. その1分後にセネガルは0-1でコロンビアに敗れる。
  5. 日本とセネガルのゲームポイント、直接対決、得失点差などが全て同ポイント。
  6. 最後は警告カードの枚数で日本が2位で決勝トーナメント進出を決めた。

 

試合の終盤にセネガルが負けるという予想のもとに攻めることを諦めた姿勢が批判されています。

さまざまな条件が揃って生まれた奇跡のような試合であり、今後も国内だけではなく、サッカー史に残る試合となる(はず。私見!)

 

議論のポイント

 

  • セネガルの負けは確定しておらず、他力本願の待ち状態の試合運びに甘んじた。
  • ルール違反ではないが負けたチームが攻めないという、異例の消極的姿勢に批判が集まっている。

2. ネットで見る容認派と嫌悪派

奇妙な論破姿勢

容認する人、嫌悪する人、それぞれの主張を一行で書くとこんな感じだろうか。

容認派「ルール内だから問題ない。結果オーライ」

嫌悪派「ゲームとして面白くない。プロが見せていい試合か?」

ネットニュースのコメントなどに書き込みを見ると、試合が面白かったかどうかではなく、「自分と違う評価をする見えない他人をいかに言い負かすか」という切り口で書いていて、非常に不気味に思えた。

どちらも正しいし、正しくない

例えるなら、10円玉を見て、一方は円だといい、もう一方は長方形だと言っている。

どこから見るかで見え方も変わる。さらにいうと、評価については時間軸での捉え方も必要になる。

試合が終わって間もない頃に自説の正当性をカウンター的に主張してもほとんど意味がないように見える。

分かり合う必要ある?

嫌悪派は「単純に面白くなった、戦いだから最後まで勝つ気で戦うべし」

擁護派は「結果オーライ、ルール上問題ない。」

 

でもね、僕思うんですけど。

 

両者はそれぞれの折り合う必要もないし、お互いに批判する必要なんてないんじゃないでしょうか?

これはあくまでエンタメです。政治とは違う。

熱くなるのは結構だが、赤の他人を一方的に非難する必要があるのでしょうか?

3. ルール的に問題無ければOK?

他の競技だと消極的姿勢、敗退行為にはペナルティが課されます。

例えば柔道。ボクシングもそう。

しかし、サッカーにはそのようなルールはない。

ポーランド戦においては、安易に攻めて失点するのも馬鹿らしいし、失点しなくても警告をもらえば出場できない可能性があったので、そういう点で見ればあの戦略は正しかったようにも思えます。

プレイバック;2010年W杯の準々決勝ガーナvsウルグアイ

突然ですが、2010年W杯の準々決勝を振り返りたい。

スコアレスドローのまま前後半を終え、延長戦に突入。

終了間際、追い込まれたウルグアイのスアレス選手がゴールライン上で故意に手をつかってボールを外に弾いた。一発退場。しかし、そのPKをギャン選手が外し、結果的にPK戦にもつれこみウルグアイが勝った。

あの時も「違反だがスアレスは退場という罰を受けたし、PKももらえる。PKを外したギャンが悪い」という論調もあれば、「スポーツマンとしてどうなんだ?」という議論が起こった。

ルールとは?

まるでルールがあってゲームがあるように思えるけど、だと思うんですよ。

全てのルールには目的があって、よりゲームを楽しめるように選手の安全を保つためにルールが決められています。

なので、「現行のルールに合致している=議論の余地なし」というのはかなり残念な考え方。

擁護派はちょっとルールに縛られているのではないかと。

ルール内だからオッケーではなく、今のルールの趣旨なども考えて、変更の余地があるのかなども考えるべきです。

サッカーは誰のためにあるのか?

サッカーにおける顧客とは?

いつか読んだ『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』で、主人公の女の子(野球部マネージャー)が、「野球部を定義する」という場面があります。

「企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である」
ーードラッカー

「顧客」にもたくさんあるけど、ぱっと浮かぶのは、試合を現地に観に行ったサポーター
、出場国の国民など。

顧客を満足させないならそもそもやる意味がない。競技を維持するお金や環境は顧客が生むのだから。

そもそも競技は「両者が勝とうとする」から成り立つわけです。勝っても負けてもいいなら成り立ちません。

対立する二者が同じ目的を達成しようとするから戦略が作られアクシデントが起こり、そこに興奮や感動が生まれるのです。

そういう点ではこの試合は競技とは言い難いです。

あの試合を(バックグラウンドなどを考えずに)面白かったという人は異常でしょうね。

顧客を無視している。

しかし、優勝すること、次戦をサポーターに提供することを目的とするなら、あの戦術は勝ちにこだわったものとも言えます。

じゃあ「勝つ」とは何なのか? という言葉の見方によって変わるということです。

彼らは彼らの考える顧客に合わせて試合を運んだと考えたらすっきりする。

(となると、あの場にいた観客は顧客ではなかったと言えるかも)

見過ごされていること

1.他人の感情への配慮と無視

ネットでいろいろ好き勝手に書けるのは(僕も含めて)、要するに他人事だからでしょうね。

身銭を切って試合を観に行った人の「感情」という面が無視されている。

監督・選手たちの葛藤も無視されている。誰も心から望んであのようなゲーム運びをしたかったわけではないでしょう。

まるで判例を眺めるときと同じ気分。

感情をはさまず読める。そこにはたくさんの血や憎しみがあったはずなのに、判例というサマリーになるとそれらがすべて失われる。

部外者がああだこうだと言ったり、議論の叩き台にするとき、当事者の感情は見過ごされている。

2.「結果」の意味

さらにいうと、今回の「結果」をどう定義するかよって評価は変わってくる。

例えば、現地に観に行くほどの熱心なサポーターから見限られることになるでしょう(=熱心なファンが減る)。

逆に決勝リーグ進出することにより、テレビでも取り上げられて新たなファンを獲得するかもしれない。

どちらがいいとか悪いとかではなく、あの試合の最後の15分と決勝リーグ進出という事実だけに目を向けるのは近眼だと思う。

あそこで攻めてさらに追加点を奪われたら西野監督は批判されていたでしょう。

ゲームが面白くなかったという点だけで批判する人も、また近眼と言えます。

まとめ:個人的感想

僕が当事者ではなく他人事でしかないことも前提にして言うと、様々な方向から眺めると、

この試合は面白かった

たとえば、消極的姿勢を罰するルールの新設のいいヒントになる。

多くの人がああだこうだと言い合いするってことは、それだけ価値がある試合だと思う。

各国のニュースでは日本叩きがされているが、せっかく目立ったのだからヒール役として、このまま勝ち上がってほしい。

擁護派も嫌悪派も最終的には日本を応援すると信じています。

追記

この後決勝リーグの初戦(vsベルギー戦)で日本は惜しくも2-3で負けました。

手に汗握る素晴らしい試合だった。こういう後の結果から見ると、やはり決勝リーグに進めてよかったのではないかと思いました。もちろん結果論な話ですけど。

それじゃまたね。

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