とりとめのない夫婦の会話が生まれる場所

妊活・子育て・ワンコ

娘が御茶ノ水の病院に入院することになって三日が経ちました。

昨日は仕事納めで、帰りに病院にお見舞いに行きました。
廊下の向こうから時おり子供の声が聞こえる小児病棟の一室で、僕らは静かに話をします。

夜間は家族一人しか付き添うことができないので、僕は洗濯物を持って20時には病院を出て、次の昼に妻が一時帰宅するのを待ちます。

今日は妻がいったん帰宅し、シャワーを浴びてまた二人で病院に出かけました。娘と相部屋にいた隣の男の子は本日退院で(よかった)、娘は一人部屋になりました。明日にはまた新たな子供が来るそうです。

今日は静かな病室で家族三人の時間を過ごしています。

病院にいると時間の流れがとてもゆっくりに感じます。

おおむね夫婦の会話はとりとめもないことです。

娘は病気の影響で黄疸がまだ取れていないので、看護師さんから窓を開けて日光に当たるように言われました。

妻が「カーテン開けるとね、ここって都会の病院だなって感じがするよね」、と窓から広がる御茶ノ水のオフィス街を見下ろしながら言います。

「ねえねえ、いま娘が俺の方見て笑ったよ」

「まだ二週間だもん、笑わないでしょ」

「いーえ、笑いましたね」と僕は言いました。「お父さん子に育つといいな」

「しっかり稼いできてもらわないとね、○○ちゃん」と妻は娘に語りかけます。大したこと会話です。家にいてもできる会話でしょう。

でもいま我々は重病を抱えた娘と一緒に病院にいます。

こういう非日常的な場所で日常的な会話ができることを幸福に思える、そのくらいの心のゆとりは持てる状況であることに一抹の感謝を感じます。

大変な状況の中でのちょっとした一場面、言葉のやりとりが大切かということに気づきます。

一緒に苦労を共にするというのがいかに人間同士の結びつきを強くするのか、ということに気づかされます。

昨日からパクチー(愛犬の名前)は妻の実家に連れて帰ってもらうことになりました。義母からパクチーが元気に遊んでいる動画が送られてきました。一安心。

振り返ると、パクチー(愛犬の名前)を買い始めてから夫婦の会話が多くなりました。

僕らは夜10時半になると必ず荒川の土手に犬の散歩に出かけます。

その日あったこと、面白いこと、おもしろくないこと、今後のこと、1時間弱があっという間に過ぎます。

いまこうして振り返って書き起こそうとしても、散歩中の会話はほとんど思い出せません。たまに僕が余計なことを言って、帰り道ずっと妻が無言で僕が二歩後ろを歩くということもありましたね。

誕生後娘が家にいたのは1週間ほどです。

早く良くなって今度は家でのんびりとした会話を持てたらいいなと思います。そして三人でパクチーの散歩に行ける日を楽しみにしています。

最近色々あったけど、ずっと前を向いて歩いて行きます。

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