延藤(ノブトウ)です。3年ぶりにブログを更新します。
2022年にnoteブログを始めてから、このブログはほとんど触れずにいました。
仕事、柔術、独立、そして家族。いろんなことが同時に動いて、ときどき立ち止まって記録は残していたものの、大きく振り返ることはありませんでした。
そんな3年間です。
なぜブログをやめたのか。
そして、なぜいま再びここで書こうと思ったのか。
この3年間の記録をまとめます。
なぜ個人ブログを更新しなくなったのか?
この個人ブログを止めたのは、単純な理由でした。
書けなかったわけでも、ネタがなかったわけでもない。
「続けるメリットがなくなった」だけです。
理由1:収益化が厳しくなった
2020年のコロナ禍と、Googleのアップデート。それまで積み上げてきた収益が一気に吹き飛びました。
2021〜2022年にかけて何度も立て直しを試みましたが、個人ブログ(独自ドメインサイト)で戦うにはあまりにも厳しい時代になっていました。
好きなことを収益化することが難しいという現実が、静かに重くのしかかってきたのを覚えています。
「個人ブログで勝つのはもう無理だ」と諦めてしまったのが正直なところです。
理由2:自由に書くなら場所は選ばない
一方で、「好きなことを自由に書きたい」という気持ちはずっとありました。
SEOの文法から離れて、純粋に思考や言葉を置ける場所を探したときに、たどり着いたのが note でした。

ハコが変われば書き方も変わりますね。Xとの相性が良く、SNS的な機能やUI/UXの親しみの良さで反応は良かったです。
肌感ですが、「数字を追う」「教える」から「話しかける」に変わりました。
理由3:柔術にハマった
さらにこの年、ブラジリアン柔術に出会いました。「柔術×ライフワーク」と捉えている競技者が多く、note上にはたくさんの「#ブラジリアン柔術」のタグがついた記事が存在します。ここをたどって競技者に読まれています。
練習で感じたこと、試合の緊張、仲間との会話。
これらを言葉にするには、個人ブログよりもnoteのほうが向いていたのです。おそらく独自ドメインのブログで書いてもあまり読まれなかったのではないかと思います。
振り返れば、あのとき「書くことをやめた」というより、「場所を変えただけ」だったのかもしれません。
少なくとも言葉は止まっていなかった。ただ、流れる場所が変わっただけとも言えます。
なぜ今また個人ブログを再開するのか?
ブログを止めて3年。それでも、このサイトから相談や問い合わせをいただくことは途切れませんでした。
企業からの集客やマーケティング支援の相談、たまに個人からフリーランスの働き方など。

ちゃんとした入口を整えていないままでは不親切だなと思って、あらためて改修することにしました。
※年内にサイト全体もリニューアルする予定です。
noteを読んで、本ブログの問合せフォームから連絡してくれる方もいます。自分のドメインで運営しているサイトは、安心感があるようです。

noteではできないこと
現状、noteに大きな不満はありませんし、今後も活用していきます。コンテンツ単体やマガジンでマネタイズができることはありがたいです。とはいえ、noteではできないこともあります。
- アフィリエイトリンクの設置
- トップページのカスタマイズ
- カテゴリごとのページの出しわけ
- 問合せフォーム
noteは「交流の場」としては十分ですが、「積み上げる場所」としてはやはり足りないと思いました。無料で使っているぶん、運営のルール変更の影響は受けることもあります。
自分メディア戦略(現時点の決定版)
この3年間で、僕の発信の形は何度も変わりました。X(2つ)、note、ブログ、Youtube、Facebook。
どの場所にもそれぞれの空気とリズムがあります。
今後は「どこで、何を、どう語るか」をもう一度定義し直していきます。
テーマごとに、場所を分ける
- 柔術や格闘技:その実践と考察をまとめるサイト
- 教育・マーケティング:ビジネスや集客のノウハウを整理する場
- 家族や働き方、社会への視点:このブログ
それぞれを「線」でつなぐハブとして、このブログを位置づけます。
ここは、僕の行動履歴または地図を置く場所にします。

ちきりんさんの本を参考にさせてもらいました。

自分の言葉で築くメディアへ
他人のアルゴリズムに左右されず、自分の時間と熱量で積み上げていく。
これが今後のメディアポリシー(指針)です。
数字を追うよりも、残したいものを残す。トレンドに乗るよりも、自分のペースで語る。
そんなメディアのあり方を、あらためてここで形にしていこうと思います。
おそらくブログ黎明期(2000年代初頭)ってトレンドに乗って波乗りする。波が消えてらやめるなんてことはなかったと思います。ブログ本来の使い方に原点回帰していきます。
では、2022年〜2025年を簡単に振り返ります。
2022年:柔術と出会う
この年いちばん大きかったのは、柔術に出会ったことです。
2022年3月:人生の転機に
ダイエット目的で近所のジムに入り、最初は打撃(ミット打ち)をやっていました。
そこで週末の柔術クラスに出たことがきっかけで、一気にのめり込みます。
秋には初めて柔術の試合にも出ました。
そのときに書いた「初めて柔術の試合に出る準備」記事は、3年経ってもずっと読まれているロングテールコンテンツになりました。

ダイエット目的で始めたはずなのに、今では柔術に本気で取り組み、仕事にもなっている。
人生って本当にわからない。
柔術との出会い、ハマっていく過程については、以下にまとめています。

2022年:ビジネスは順調
会社員として「塾シル」の営業リーダーとして働き、契約はどんどん増えていました。前職から逃げてきたメンバーと、また一緒に仕事をする流れにもなりました。
2022年:コロナと円安・物価高
世の中はまだ基本的にマスク。飲食店は時短。緊急事態宣言も続きました。
若い世代が息苦しさを感じても、仕方ないと言われる空気。
「10,20代の貴重な時間が削られているのに、我慢するメリットを誰も示してくれない」という空気が濃くなっていった時期でもあります。
コロナあたりから世代間の分断をじわじわ感じる。当時はコロナは共通の敵であり、あとは物事がうまくいかない理由をすべて「コロナの影響」と片付けられた。
— ノブトウ|marketing&writing (@nobutou) February 2, 2025
しかし、その後に制限が取っ払われた頃から一気に物価高と社会保障費の引き上げが来ているので、次の言い訳を探しているように見える。…
思想の分類で言うと、僕はリベラル寄りなのですが、コロナ禍の自称リベラルたちの堕落ぶりを見てから、同類に括られるとまずいなと感じた。…
— ノブトウ|marketing&writing (@nobutou) July 29, 2025
2021年あたりから一気に来た円安は定着し始め、物価高も目立ってきました。
ニュースでは「一時的」と言われていたけれど、実際には生活の隅々に確実に影響が出ていました。
2022年:noteブログを始める
2022年前期は、当ブログでなんとか生き残れないか粘っていました。
でも、コロナ禍の影響はまだ重い。Googleのアップデートは企業サイトにどんどん追い風。個人ブログ(独自どめいん)で稼ぐのはほぼ壊滅状態。
「もう数字を追うのはやめよう」とギブアップ宣言をして、個人ブログから撤退を決めました。
本業は安定していたし、副業も受託案件があったので、そこは問題なく。
こんな記事を書きました。めっちゃ読まれています。いろんなものを切って新しいものに進んでいくことの大切さを再確認しました。

2023年:流れに身を任せる
この年は自分にとって変革期でした。柔術、仕事、自分のあり方。
それぞれの線が交わりながら、ゆっくりと形を変えていった一年でした。
2023年3月:柔術の分析記事が業界に刺さる
この頃、柔術はすっかり生活の一部になっていました。
未経験スタートで1年未満で青帯に上がるタイミングで、約1.8万字の分析記事を公開。

たくさんのジム経営者、大会運営の方々と繋がるきっかけになりました。
このとき初めて、「自分の書く言葉が業界の議論に影響を与える」体験をしました。
ここから僕は「教育業界のマーケター」だけじゃなくて、「店舗ビジネス/集客の人」として相談も受けるようになります。
2023年3月:タモリ倶楽部が終わる
3月1日から、公共の場所でのマスク着用が事実上任意になりました。
「コロナがやっと終わるのか」という空気が出たタイミングで、高校時代からずっと観ていた『タモリ倶楽部』が終了。空耳アワーも同時に終了。
すごく寂しかったです。タモさんも80歳が近づき、いろいろ終活をしていた時期なんだろうと思います。
ありがとうございました。
届いた!『空耳アワー辞典1992-2023』@SoramimiLabo
— ノブトウ|marketing&writing (@nobutou) January 10, 2024
いつかは終わると思っていたけど、コロナ禍で空耳コーナーがなくなり、ついに昨年タモリ倶楽部も終了。
20代の頃はせっせと投稿していました。青春の思い出。たまに思い出してパラパラめくる、そんな本になりそう😌 pic.twitter.com/HImGF6JPCt
2023年3〜4月:BJJ LABのマーケに入る
前々職でお世話になっている國立先生から、元生徒の竹浦さんを紹介してもらい、カルペディエム三田に出稽古にいきました。その後食事をしてBJJ LABや柔術業界の話を聞きました。

翌月の横浜の練習会でBJJ LABの下前さんと会い、帰りに3人で食事。BJJ LABのウェブサイト改善案を話したら、
「入ってください」「いいっすよ」というノリで参加することに。現在は仕事としてがっつり関わっています。
2023年春:「塾シル」1万教室
本業の「塾シル」が有料契約で1万教室を突破。
「アメーバ塾探し」「塾選」といった強い競合も現れ、同時に、絶対王者だった「塾ナビ」の支配が少しずつ弱くなっていきます。
2023年:コンテンツ制作の受注が増える
SEOの知見はたまるものの「もはや個人のブログ単体で勝つ時代じゃないな」という実感がはっきりしてきた年でした。最終的には「中小企業のウェブマーケティング支援」へ収束していきます。サイト制作やブログ支援の依頼がかなり入って、右から左に捌いていく感じ。
この頃まではライティングも自分でやっていましたが、単価や労力のバランスが合わなくなってきて、徐々に戦略・改善提案にシフトしました。
2023年12月:親友が死ぬ
年の瀬に悲しいニュースがありました。30年来の一番の親友が亡くなりました。
「自分は結局、何がしたいのか?」を真正面から考えるきっかけになりました。

メンタルもかなり不調になり、仕事で解消しようと働きすぎて、倒れたりもしました。
それでも試合には出て、なんとか結果は残せました。

2023年を振り返って
この年の僕を一言で表すなら、「流れに身を任せた」です。
柔術では成長し、仕事では新しい役割を見つけ、人との別れが、自分の輪郭を深く刻んだ年となりました。
2024年の大きな変化を考えると、ひとつの流れの中で繋がっていたようにも思えます。
2024年:再びフリーランスになる
2024年2月:引っ越し
武蔵小杉から溝の口へ引っ越しました。子どもの幼稚園も変わる。僕は新たに「パラエストラ川崎」という柔術ジムに通い始めました。
2024年5月:独立を決意
古巣の「株式会社学びエイド」が上場。辞めた当時には許せないことが多く、いまだに関わろうとは思いませんが、初志を叶えた彼らにエールを送ります。
これを機に、僕も独立することを決意しました。


所属先の株式会社インタースペースに退職の連絡を入れ、3ヶ月半前に辞める意思を正式に伝えました。
会社に不満はなく、将来的に不安はありましたが、ひとまず一から始めたいという判断でした。
2024年7月:フリーになることを周囲に伝え始める
会社側にはすでに退職の意向を伝えていましたが、徐々に社外にも公表していきました。
SNSでも、noteでも。派手な告知ではなく、静かに。

2024年9月:会社を辞める

あわせて、武蔵小杉のタワーマンションも売却。さらば武蔵小杉。
ところで、僕が52階のタワマンを買った2019年あたりから副業ブームが一気に強くなっていきました。
「副業ノウハウ教えます」でマネタイズしようかなと思ったことも正直あります。
「それ情弱ビジネスじゃない?」と言う人もいるかもしれない。
でも翌年のコロナ禍で、本業で稼げなくなる人が実際に増えたことを考えると、あのとき真剣に情報発信しておけば良かったな、と今では思います。

2024年10月:モロッコ・トルコへ
独立初月からモロッコ〜トルコ旅に出かけました。

「フリーランスになると遊べない」と言われがちですが、僕はある程度バッファを用意してから独立したので、最初の一発目でちゃんと楽しみに行きました。
帰国後に仕事が溜まりすぎて地獄を見たのは、まあその通りなんですけど、それでも行って良かった。
何で起業するかもまだ決めていなかったので、生成AIの勉強を始めました。

2024年を振り返って
この年は、フリーランスになったというより、元の位相に戻した年と言えるかもしれません。
8年間の会社員生活は人生の大きな経験になりました。また会社員に戻ることもあるかもしれませんが、とりあえず歩を進めることしました。
2025年:無計画フリーランスから脱却…しかけ?
2025年に入っても、引き続き受託生活です。
幸いなことに仕事の依頼は途切れず、複数の企業のマーケティング案件を進めています。基本的にほぼ家に引きこもって仕事をしています。
Pythonやデータ分析の勉強も始めましたが、「俺が扱うデータ量なら、Excel以上のスキルを身につけるコストって本当に見合うのか?」という疑問も出てきました。
データサイエンティスト級の専門職になるつもりはないので、どこまでスキル習得に時間をかけるかは悩ましいです。
2025年2月:家族の時間と日常の豊かさ
家で仕事をしているので、幼稚園の送迎もよくあります。娘たちが部屋に突撃してくることもしばしば。でも不思議とイライラはありません。
子どもの成長を毎日見ながら仕事ができるのは、本当に恵まれていることだと思います。
ふと、子どもの未来についてすごく不安になって書いた記事がこれです。

第三子を迎える準備
2026年1月に子どもが生まれる予定です。
僕も妻も40歳になります。若い夫婦ではありません。
でも、最後のチャンスとして「もう一人、子どもを迎えよう」と話し合って決めました。
フリーランスになってから大きく収益が上がったわけではありません。月収も不安定です。保証もありません。先行きの不安は正直あります。
でも、子どもの成長はかけがえのないものだし、「未来に賭けてみよう」と思いました。
長女は生まれてすぐ病気になって、入院していた時期もありました。それが今はもう元気に育って、小学生になっています。

これは2018年に書いた記事です。未来を不安に思いながらも、ちゃんと希望を探していた自分がいます。
今年いちばんの変化は第三子を迎えるです。生まれてからが本当に大変になるので、来年はもっとバタバタしていると思います。長女の時と同じく、未来は明るいと信じています。
子どもを持つことが、今より貴重になる時代に
深刻な少子化が続き、未婚や子なしが当たり前になりつつあります。今後、日本経済が劇的に良くなる見通しはほとんどない。
そうなると、子どもの価値ってこれからますます上がっていきます。
わりと似たような回答で笑った🤣
— ノブトウ|marketing&writing (@nobutou) May 1, 2025
コロナ禍以降の社会の動きを見ると、もう少し子供を作っておいた方がよかったなと思うことがあります。2人よりも3,4人の方が立ち向かいやすかったかなと。
ここから少子化はまだ進むので、子供を作ることの価値がどんどん高まります。 https://t.co/kJcMS7DZPu pic.twitter.com/N6WzIaoxwl
このポストを出した頃には、すでに第三子の話が決まっていました。
2025年の参院選では、参政党と国民民主党の躍進が本当に目立知ました。僕自身は参政党には投票していませんが、完全に無視できる時代はもう終わったと思います。特に少子化対策については、彼らの主張がいずれ評価される部分もあるはずです。
「参政党は『女子高生は大学に行かずに3人妊娠しなさい』って言ってるのか?」という形で炎上していましたが、
僕が見ている限り、多くの人の理解は雑です。まとめも書きました。

不登校の深刻化が止まらない
3年前(2022年)、コロナ禍がまだ落ち着かない頃に不登校が急増しました。

当時も話題にはなったけど、そこまで本気で危機だと受け止めている人は多くなかった気がします。
「一時的なものかも」という希望もあった。
実際には深刻さがさらに増し、戻れないラインを超えつつあるように感じています。
不登校の数は増え続け、もはや「特別なこと」ではなくなりました。少子化で子どもの頭数そのものは減っているのに、社会で活躍できなかったり、自殺する若者の数が増えている。これは本当に悲しいです。
こんな記事も書きました。

SNSの熱が冷めていく
現在のXはかなりカオスです。正直、全然伸びません。イーロン・マスクがXの代表になって以降、アルゴリズムが変わり、やり方そのものを再設計しないと届かなくなりました。
柔術アカウントはまだ動くけれど、マーケティング系の発信は届きにくい。ビジネス目的のX利用は、今はあまり意味がないと感じ始めています。
【実況解説】仕事用アカウントが”趣味テーマ”に飲まれた!アカウント設計を再構築する手順
https://note.com/nobuto1985/n/n137eaba25480個人メディアを自滅させたマーケターが復活劇をお見せします
https://note.com/nobuto1985/n/n6f9b787f4e5a
SNSは流動的だし、声だけ大きい人が目立つアルゴリズムに疲れてしまうこともある。
以前と「書いて残す」ほうへ戻りたくなった。それが今回のブログ再開の根っこにある気がします。
とはいえ、完全にSNSを捨てるわけではなく、模索中です。
2025年1~9月までを振り返って
今年40歳を迎えました。何者かになろうとしない一年でした。焦らず、淡々と。少しずつ自分のリズムは掴んできています。
このブログもまたエンジンを回していきます。最低でも月報は書きます。
「その月にどんな記事を書いて、何を考えていたのか」を残しておくことだけでも、資産になるからです。
結局、ブログは資産性が強い
もう10年以上同じことを話しているのですが、ここは変わらないと思います。
おそらく10年後も僕は同じことを言っているはずです。
直近の10年でいうと、動画も簡単に出せるようになったことですね。
「ブログ+動画」で価値あるコンテンツを作り込む。
簡単にですが、この3年の活動をふり返りました。もう月末なので、10月のまとめを書きます。
また次の週末に。それでは、また。


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