『人生は混乱したトラックレース』

2012年1月5日の日記。当時、僕は思うところがあり、しばらく国外で暮らしていた。
昨夜寝る前にイスラエルに来て変わったことを考えていた。
この頃は肉体労働が過酷を極め、さらに夜中まで時間を惜しんでヘブライ語の勉強をしたり、本(英語)を読んでいるから、ベッドに入ると10秒も経たぬままに眠りについてしまう。
でも昨日は背中と腰が痛すぎてすぐには眠れなかった。真っ暗な部屋でベッドの上であぐらをかき、この三ヶ月のことを考えていた。イスラエルに来て、今日でちょうど三ヶ月が経つ。
ここに来てまだ三ヶ月だけどいろいろな変化があった。あまりに多くて書き尽くせないけど、そのうちの一つは家族とのコミュニケーションである。
ここに来るまで姉とは一度も姉とはメールをしたことがなかったけど、今では一番メールのやりとりをしているのは姉である。よく甥っ子たちの写真を送ってくれる(ちなみに、姉から送られてくるメールにデコメが含まれているのを見てやや複雑な気分になった。姉は37歳)。
実家にいたときは母が持ちかけてくる話はたいがい自身の仕事に関するもので、その多くは法律や文章構成で、話らしい話はそんなになかった気がする。月に二回は安否確認をするようにと経つ前に言われていて、それにしたがって電話をかけているが、母は仕事人間で家にいないからほとんど話せていない。でも電話がつながったある日の会話をふと思い出す。
どういう経緯だったか忘れたけど(たしか来年の9月まで帰らないと伝えた時だと思う)、母は僕に「あんたは今の自分の生き方に満足してる?」と言った。「あんたの歳だと普通はちゃんと仕事を持って毎日働いて、貯金とか将来の結婚や子供のことを考えたりするじゃろ」
「すごく満足している。これ以上は特に望んでいないよ」と僕は答えた。これは、何も含みのない本音である。
「他の人を羨ましく思ったりはせんの? いつまでそうやってふらふら根無し草みたいにやっていけるわけじゃないんだし」
「僕みたいなこの性格だと、ごく一般的な生活をしていたら、根が腐ってしまう。腐るくらいの根なら無いほうがいい」
「あんたはいつもそういう皮肉った言い方をするな」と母は呆れたように笑
う。
イスラエル行きに関しては、何人もの知人・友人から「羨ましい」という言葉を受けた。もちろんその中には「ええ歳してよくそんなところにふらふら出掛けられるね」という皮肉的な意味を含めて言っている人もいたけど、それはそれで理解できる。もし僕が逆の立場(社会に根をきちんと付けている堅実な人)だったとしたら、僕のような人間を鼻で笑っていたかもしれない。それでも彼らのうちの多くは心から羨ましく思っているのだろうなと推察する。
それと同時に受ける質問はたいがい決まっていて、「将来について不安は無いの?」である。この問いは二十歳になってから千回は受けた気がする。本当に多くの人から同じ質問を受けてきた。
自分の性格が過度にシニカルであることは重々承知しているけど、やはり彼らの意図する不安というのは多くの場合、「社会的にどうであるか」であって「“自分自身”がどうあるか(満足できるか)」ではないと思う。端的に言えば、将来における社会的立場とカネ(収入)である。
たとえば一例を挙げると、十代のころから知っている友人と会食するとなぜか必ず収入の話になる。それが単なる酒のあてに終わることもあるけれど、それを超えた域(シリアスなもの)に入ることが多くなってきているなと思う、歳を経るにつれてその傾向は強くなっている。パターンは決まっている。それぞれが自分の収入などを開陳して、それから最後に「ところで君は?」とみんなが一様に僕のほうを向く。
はっきり言って僕はカネの話をするのは好きではないから「まあ十分だ」とぼかしそれ以上答えないようにしている。それより深く突っ込まれたら「野暮な話はやめようぜ」と言ってシャットアップするようにしている。
カネは大切だ。いくらその重要性を説いても説きすぎることはない。カネに無縁で生きている人なんていない。僕も時期によっては金の亡者になるし、いかに効率よく合法的にカネを収集するかを計画立てることもある。でもやはりカネのことを上位には置きたくないし、ましてや一番に置くなんて本当に寂しいことだなと思う。だからこまごまとしたカネの話は他人とは一切しないようにしている。
人生とはどうあるべきか、という問いを多くの偉人が考えてきたし、現代を生きる多くの人が日々考えていると思うけれど、僕はあまり深くは突っ込んで考えないようにしている。なぜか? 哲学的に考えても、物理的に考えても、経済学的に考えても、文学的に考えても、瞑想的に考えても、納得の解答が見当たらないから。
「今、自分が楽しんでいるか」というその時々の自分自身の感覚を大切にしている。安易?、そうかもしれない。でもやはりこれ以外にはないだろうと思う。不本意なことをやって確実にバックがあるなら、またそれが定まった期間の我慢であるなら、引き受けてもいい。でもいつまで我慢していいか分からないまま、不本意なことをするというのは僕にはできない。僕の人生は、あるいは他の人と比べてみても、現状維持しなければならないほどの価値のあるものとは思えないから。
人生について考えるとき、『人生は混乱したトラックレース』という言葉がいつも僕の頭に浮かぶ。村上春樹が言ったのか、スティーブン・キングの言葉を村上春樹が引用した(彼はよくキングの言葉を引用する)のか忘れたけど、僕にはとても印象的だった。
ぱっと見ただけでは誰が先頭かわからない。順位もどんどん入れ替わる。一番先頭を走っていた人が後退(凋落)していくこともあるし、それまで他の人の尻にしがみつくように走っていた人が他を引っ張っていくことになるかもしれない。一番大切なことはランナー自身が自分の走りを楽しんでいるかどうかであって、観客(他人)がどう見るかではない――人生というレースにおいては。
僕はほとんど無目的にイスラエルに来た。でも僕には元々やりたいことがありそれに加えてさらにもう一つやりたいことを見つけた。それを果たすべくプラクティカルに生きている。かなりストイックな生活と日々たくさんの我慢を強いられているけれど、必要経費・授業料と考えればとても安い。
間違いなく自分の身に返ってくるし、そのうちのいくらかはすでに返ってきている。何より、僕はいまを楽しく生きている。『楽しんでおこなう苦労は、苦痛を癒すものである』と言ったのはたしかシェークスピアだったと思うけど、毎日充実した苦労をかつぎながら生きている。これ以上望むべきものは、今の僕にはない。
本当にいい時期に日本を出たなと思う。現在26歳、半年後には27歳になっている。25では早すぎたろうし、27だと――たぶん――遅かったのではないかな。
(追記1)
9月の半ばに東北でのボランティア活動から帰ってばたばたとイスラエル行きの準備をした。成田―イスラエルの往復チケットを旅行会社に頼み、僕は岡山駅前で買い物をしていた。するとその旅行会社の別の社員から電話があり(たぶん気を利かさせくれたのだろう)、「あなたの使う航空会社の一年オープンだと、同じ値段でユーロ圏・中東諸国どこからでも帰ることができますよ」と教えてくれた。「ただしすでに予約を入れたため変更は今日中に決めてください」と彼は言った。
急いで本屋に行き、世界地図を広げてさてどこにしようと考えた。これと言って行きたい国がないのも事実で(何度も言うけれど、僕は旅行に興味がないのだ)、迷いに迷ってロンドンに決めた。そして中東からロンドンまで陸路で縦断しよう、と思った。
ロンドン、陸路縦断――すでにお気づきの方もいるでしょう。例のあれです、『深夜特急』(沢木耕太郎著)。バックパッカーのバイブル。僕が初めて手にしたのは20歳の時だったが全部は読みきらぬまま途中でやめてしまった。二年半前に古本屋で叩き売りにあっていたところを拾い買いしてなんとか全部読むことができた。僕は旅行や海外に出ることに一切興味がなかったため(イスラエルに来た現在でも大してない)、そこまで惹かれなかった。けれど、何かしら引っかかるものがあったのだろう。そうでなければロンドン陸路縦断なんてワードは出てこなかったはずだ。
上の文章を書いていて、また『深夜特急』のことを思い出した。たしかどの巻かは忘れたが文庫本の後書きで、「26歳適性年齢説」という言葉が出ていた気がする。25歳だったかもしれない。ふと思い出しただけなんだけど。
“As if twenty five years old would be too early or twenty seven old too late.”
こうして英語にしてみると、昔の冒険家が残した箴言みたいに、カッコいい響きに聞える。
(追記2)
『深夜特急』の中で一番よく覚えているのはインドのくだりである。他の国はほぼすべて忘れてしまったけれど、インドはなぜかよく覚えている。遺体がガンジス川に流されるシーン、天寿を全うできなかった者はガンジス川には流されず焼却されること、あとは野良牛(野良犬の牛バーション)とリキシャ。
たぶん少し後に読んだ遠藤周作の『深い河』とイメージがくっついたのだろう。リキシャとは、インドのタクシーである。これまたうろ覚えで申し訳ないが、著者は「リキシャは人力車と名前が似ていて、覚えやすい」というようなことを書いていた。
一ヶ月前ほど、インド人のアシシとアメリカ人のマイケルと一緒にラハヴフォレスト(ネゲブ砂漠にある数少ない森林)を散策した。僕とマイケルはサンダルで行っていたため、足がだいぶ疲れていて、僕はアシシに「へい、リキシャドライヴァー。俺らを担いで行ってくれ」と冗談めかしていった。
「なぜリキシャを知っている!?」とアシシが言い、マイケルが「What is Rikisya?」と訊いてくる。
「インドにある手押し車のことで、彼らはタクシーとしてそれを使っている。日本の京都でも同じようなものがあるよ。まあ京都のそれは観光用にあるだけなんだけど」と僕は説明した。
「ノーノーノー、ジャッパニーズ」とアシシは人差し指を振りながら笑う。
「お前はいつの話をしているんだ? 今はバイクを改造して、客車を引っ張ってるんだ。しかもほとんどがホンダのバイクなんだぜ。日本人なのに、そんなことも知らないのか?」
というわけで、『深夜特急』の知識は今ではあまり使えないらしい。まあもう40年近くも前の話だからね。これはロッキー議員にも言われたことだけど。ちなみにリキシャは原音を聞くに、「リックシャ」に近いようである。

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