≫前回の記事:『こうして僕はイスラエルで不法滞在者となり、日本に見捨てられた』
語学学校の手続きのミスで、気づいたときにはビザが失効していた。イスラエル政府に掛け合うも失効後の回復は難しいと言われる。
さらに、日本大使館に助けを求めて連絡するが、高圧的な女性駐在員にクソミソに言われて電話を切られる。日本に戻りたくない僕はイスラエルからの脱出ルートを模索し始める。
≫目次:『世界一出国審査の厳しいイスラエルからギリシアに船で脱出する方法【不法滞在経験者は語る】』
≫第1章:『こうして僕はイスラエルで不法滞在者となり、日本に見捨てられた』
≫第2章:本記事
ダニーの作戦(政治家にお願いする)が進むなか、僕は自力での脱出ルートを探しはじめた。
思った以上に厳しい現実が待っていた。
イスラエルから他国への空路は諦める
空路を使うということは、当然空港に行くことを意味する。
イスラエルの空港は世界一出国審査が厳しいことで知られている。外国人の場合、離陸の3〜4時間前に空港に着いておくことが推奨されている。
「どこに滞在したか」、「何をしていたか」、「交友関係を教えなさい」、あらゆる質問を投げかけられるという。
念のために確認するが、これは一般の旅行者向けの話だ。犯罪者向けの話ではない。
イスラエルの出国の厳しさにはこの記事が参考になります。
≫参考記事:【出入国審査の厳しい国ランキング】第1位はどこ?旅行の際にはご注意を!
TABIZINE~人生に旅心を~
このときの僕は長期滞在に加えて、ビザを失効し不法滞在の状態。
逮捕・拘留される可能性が高く、運が良くて日本へ強制送還。
日本に見捨てられた、あるいはそう思っていた僕は何がなんでも日本に帰るわけにはいきませんでした。
ちなみに、不法滞在の罰則は5年間の入国禁止。せっかく語学学校で覚えたヘブライ語を失うには十分な期間だ。かといって、これ以上イスラエルに留まることもできない。
一つの可能性について考えを巡らす。
本来一番安全である空路を使った出国は、早々に選択肢から外れました。
イスラエルから他国へ:3つの陸路
①エイラトからヨルダンへ
2012年1月、ヘブライ語学校に入る前に韓国人のジェイとヨルダンにあるペトラ遺跡に行ったことがある。
(道中、拉致されナイフを突き立てられるなど、なかなかハードな旅となった)
この時は、エイラトから陸路で国境を超えた。
人生で初めて陸路で越境。ゲートがあり、そこを超えると、別の国になる。国(nation)というのは人工的な概念であることを再確認できた。
話を戻すと、この方法は空路よりは厳しくはない。しかし、正式な手続きがあるのでそこでビザが切れていることを指摘されることは容易に予想された。
これも却下。
②エイラトからエジプトへ
エイラットからエジプトのアカバへ逃げる。これはヨルダンに陸路と出るリスクとまったく変わらない。上記と同様の理由で却下。
③アレンビー橋からヨルダンへ(非公式)
これは外国人観光客とパレスチナ人だけが使える国境ルートだ。ここでビザを取得することはできないが、日本のパスポートはヨルダンに入れるので問題なし。
当時は、「アレンビー橋からヨルダンに出ても、同じ経路でイスラエルに戻らないといけない」というルールがあった。実際のところ破ろうと思えば破れるし、ヨルダンも自国に損はないので出国を認める可能性もあったが、肝心のビザの所在は不明だった。
このルートと航路は最後まで迷い、最終的に航路に決めた。
(現在は緩和されて、ヨルダンから第三国に出国することは可能です)
エルサレムからパレスチナへ
ベエル・シャバに住んでいた頃に、インド人とコロンビア人の友人たちとエルサレム〜パレスチナ自治区を旅行したことがある。
その時はバスで国境を超えた。イスラエル兵士が順番に乗客のパスポートをチェックするが、中身はほとんど見ていなかった。(あくまで記憶)
アメリカ-メキシコ国境と同じで、イスラエルからパレスチナに出るのは簡単だが、逆方向は厳しい審査が待っている。
仮にパレスチナに出られても、そこから外に出られるのかには疑問があった。
パレスチナの出入りはイスラエル政府が厳しく管理している。もし上手くいかずイスラエルに戻るしかなくなった時には確実に不法滞在がバレてしまう。バスの荷物スペースに隠れることも考えたが、見つかってしまったら長期の拘留もありえた。
こうして、「アレンビー橋以外のすべての陸路は困難」という判断に至った。
陸、空ときたら、海である。航路について情報を集めはじめた。
すぐにこれも困難な道であることがわかった。
≫次の記事は
『イスラエルからの出国:航路という選択肢』
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