もしあなたが何かヘミングウェイの小説を読んで貨物船での航行に興味が出たとしても、それはあくまで物語の世界にとどめておいた方がよい。

それは、小説が真実を映していないという意味ではない。体験するにはあまりにコストが大きいのだ。小説なら本を閉じればそこで旅は終わるが、リアルな貨物船での旅では途中で降りることができない。

ずっと水平線が続く。

貨物船での旅はオススメしない

都内で飲食店に入ると、おそらく3軒に1軒の割合で、トイレに「世界一周の旅」のポスターが貼られている。

こんなやつ。


≫引用元記事:ピースボート『地球一周99万円(129万円)』のポスターは怪しい?」
このしおりさんのブログにはピースボート経験談がありました。

主に若い人向けのクルー募集のポスターで、「船のスタッフをしながら安く世界一周ができる」というものだ。実際のところはわからないが、応募する若者がそれなりにいるのであろう。

聞く話によると、長期航行する客船には、レストラン、ジムが、サロンなどがあり、さらにグレードが上がるとサーカスやコンサートなどのイベントもついているという。

一方、貨物船では、船員は変わりがわり睡眠をとるため食事の時間はバラバラだ。当番制の船員がスープを作り、工具としても使えそうなカチカチのパンが置かれていたりする。

一般的に見て貨物船での生活は退屈きわまりない。本を読む、寝る、デッキで海を眺める、これくらいしかない。僕の場合、それが丸4日間続いた。

四日間のうち、僕はずっと日記を書いていた。今この文章も全て当時の日記を参照しながら書いている。

ちなみにこの後のヨーロッパの旅などを含めると、1年数ヶ月の間に原稿用紙にして1万枚もの日記を書いたが、この船での旅が一番日記がはかどったことは言うまでもない。
≫過去記事:「旅の日記を掘り出してみたら余裕で100万字を超えていた件

キプロスに着く


旅程を確認すると、2日目の昼にキプロスで一時停泊して、5日目にアテネに着くことになっていた。

日記を書いて、デッキで海を眺める、そしてまた日記を書く。船員に話しかけていいのかもわからなかったし、彼らが英語ができるのかもわからなかったので、僕は誰とも話さないまま丸一日過ごした。

キプロスには4時間停泊しただけだ。

おそらく船長に頼めば港のエリア外に出させてもらえたと思うが、面倒なのでベンチで相変わらず日記を書いた。

wifiを拾うことができたので、エステルにメールを送ると、すぐにエステルはSkypeで電話をかけてきた。
電波が微弱すぎてまたもや会話はできなかったが、無事にイスラエルを出国できたことを伝えられた。

「全員船に戻れ」と若い船員が呼びかけた。次の行き先はいよいよギリシャ・アテネだ。

ヴァンゲリスとの会話

3日目を迎え、ようやく半分を過ぎた。日記を書くのに疲れて、今度は小説を書き始めた。この旅で一本長編小説を書くことを決めていたが、日々の忙しさにかまけて一向に進んでいなかった。

船内をうろうろしていると、船員が声をかけてきた。

男はヴァンゲリスと名乗った。「当番が終わって暇だからダーツをしないか」。あまり英語が流暢ではなく、ところどころ通じない会話しながらダーツをしたり、ギリシャで使う実用会話を教えてもらった。

「一緒に飲みにいかないか?」、「彼氏はいるの?」とかね。わざわざ紙に書いて渡してくれた。

(ヴァンゲリスはダーツの名人だ)

次の日にもまたダーツをした。他にやることがないので、メキメキ上達する。

ちなみに酒もない。ヴァンゲリスに教えてもらった実用ギリシャ語会話を使う機会はなかったけど、彼は困ったらうちの家族に連絡してと言って連絡先をくれた。

イスラム教徒から一夫多妻制の苦労を聞く


ヴァンゲリスがまた仕事に戻り、デッキでタバコを吸っていると、アラブ人の船員が声をかけてきた。男はエジプト人でモハメドと名乗った。アラブ訛りの英語を話した。ヴァンゲリスよりは英語がうまかったが、表情が固く、感情が読み取りにくい男だった。

どういう流れだったかは覚えていないが、「イスラム教は一夫多妻制だから羨ましいよ」と僕は言った。世界中どこにでもあるやりとりで、おそらく一般的なイスラム教徒であれば人生で100回は言われることだと思う。

モハメドは「またか」という感じでもあり、「よしきた!」という感じでもあり、僕の言葉にかぶせるように話し始めた。

イスラム教徒は一夫多妻が容認されている。しかし、実際のところ多妻の男というのはさほど多くはない。理由は、世論への配慮、妻の心情への配慮などではない。

多妻を持つ男は、平等に妻を扱わなければならない。だから一人にプレゼントをあげるなら、同等のものを他の妻にもあげなければならない。それぞれの家にいる時間もなるべく平等にしなければならない。とにかく大変なのだ。

「そこを知らずにみんな羨ましいというが、一夫多妻ができる男なんてのはよほど甲斐性があり、体力がある者だけだ」

モハメドはそれからさらに一夫多妻制についてのレクチャーをしてくれたが、難しい話もあり、ほとんど覚えていない。それでも満足したようで、彼は船の何処かに消えていった。

こんな感じで、たしかに貨物船の旅は退屈ではあったが、ひとのいい船員たちが相手をしてくれたおかげでそれなりに充実したものとなった。

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