本記事は、『イスラエルーギリシャ逃避行』の最終章です。初めてこの記事に来た方は以下の記事を参照してください。
前回までの話:
イスラエルに住んで9ヶ月目に突然不法滞在になってしまう。ビザをうまくごまかして世界一出国審査が厳しいイスラエルから出る方法を模索する中で、貨物船に船員として乗り込むという方法を見つける。無事にギリシャに上陸し、ビザを得る。帰国後のビザの状態についても記しています。
≫目次:『世界一出国審査の厳しいイスラエルからギリシアに船で脱出する方法【不法滞在経験者は語る】
≫第1章:『こうして僕はイスラエルで不法滞在者となり、日本に見捨てられた
≫第2章:『イスラエル脱出ルートの模索:厳格な空路、不安定な陸路
≫第3章:『イスラエルからギリシャへの出国:航路という選択肢
≫第4章:『【イスラエル出国当日】第2の故郷を追われる外国人の心境について
≫第5章:『【貨物船内の様子】ナンパ用ギリシャ語、一夫多妻制の苦労を学ぶ
≫最終章:本記事

クレタ島が見えてくる

4日目の朝、ギリシャの海域に入ったのかどんどん島が現れては消えていく。そして馬鹿でかい島が見え、飛行機が離発着しているのが見えた。

通りかかった船員にあの島はなんだ?と聞くと、「クレタ島だ」という。あのクレタか!

ついにギリシャに入った。人生初のヨーロッパ。

あっけないほど何もなくパスポートを奪還

クレタ島の横を航行してから、ラブリオ港までは丸1日かかった。

5日目の昼、ラブリオ港に着いた。船のエンジン音が徐々に小さくなり、速度が落ちたところでデッキに出た。

あとは入国審査をパスすれば終わりだ。

「ここまで来ればなんとかなるだろう。ここで捕まることはないはず」と何度も自分に言い聞かせた。

船をおりて岸に渡ったところに船長が立っていた。

船長は無言で僕にパスポートを渡すと、船に戻っていった。

「このまま行っていいのか?」と僕が言うと、森で木の枝を払うようなジェスチャーをして、そのまま船に戻って行った。

パスポートを見ると、ちゃんとスタンプが押されていた。

(かすれて見えにくいが、ちゃんと船のマークがある)

結局、個別の入国審査はなく、僕はあっさりギリシャに入国した。

僕が船から降りるのを待ち構えている官吏もいなかった。

港のすぐ目の前を車が走っている。このまま出ていいのだろうか?

港にぽつんと宝くじ売り場くらいの警備室がある。中にいたおじさんにアテネへの行き方を聞くと、親指を横に向けて、「そこのバス停から出ているよ」と言った。

しばらく経って小さなバスがやってきた。表示板には、ギリシャ語で「アテネ」と書かれていた。

オモニア広場に着く


1時間ほどしてアテネの中心地に着いた。オモニア広場で降りてベンチに腰掛けた。丘の上にパルテノン神殿が見えた。興奮した。

wi-fiを拾い、友人たちにヨーロッパに無事に着いたことをひとりひとりメールで伝え、Facebookにも書き込んだ。

今朝ラブリオ港に着いた。入国審査もなかった。たぶん船長が手続きを全部やってくれたみたいだ。入国スタンプももらえた。いま僕はアテネにいる。

アテネをベースにして、スペッツェス島、ミコノス島をめぐり、その後ブルガリアに移った。さらにそこから10ヶ国以上の国々を巡った。

そう、このブログを頭から読んでくると、これがゴールに見えるかもしれない。

いいえ、違います。

ここから僕のバックパッカーとしての旅がスタートしたのです。

(終)

あとがき


最後まで読んでいただきありがとうございます。

この連載の前書きにも書きましたが、今回僕が紹介した逃避行のルートはイレギュラーなものです。誰かの参考にならないかもしれません。

これを読むあなたに伝えることがあるとすれば、「諦めずにあらゆる手を尽くす。聞いたことがない方法でも探してみる。無理だと言われていることでも実際に試してみる」ということです。

僕はこの経験を通じて人間として成長ができました。

今回の連載が、誰かの気持ちに届いて行動のきっかけになる、そうなればいいなと思います。

ヨーロッパの旅についてはあらためて書きます。東南アジア、南米、ここ数年でたくさんに国を巡っています。次回もお楽しみください。

ありがとうございました。

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ノブトウ

マーケティング職人。サービスを世に広めるのが得意。 元イスラエル兵。26ヶ国をゆるーく旅してきました。 公式プロフィールはこちらから。
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