働き方・生き方がどんどん変わってきてノマドワーカーという言葉が一般に浸透してきました。

以前本田直之さんの『ノマドライフ』の書評記事を書きました。

この本で取り上げられていた「ノマド」、「ノマド」の定義は以下です。

ノマドというのは単なる「場所にとらわれない働き方」ではない、とも考えています。
仕事と遊びの垣根のない、世界中どこでも収入を得られるノマドビジネスを構築し、2カ所以上を移動しながら、快適な場所で生活と仕事をすることで、クリエイティビティや効率性、思考の柔軟性が向上し、それがいいスパイラルになるライフスタイル。
これが私にとっての「ノマドライフ」です。

インターネット、スマホの普及によって自由な働き方ができるようになりました。あなたの周りにもそういう人が見つかると思います。

30年前に存在したノマドワーカー

しかし。

今から遡ること30年前。

インターネットもない時代に日本人の作家が夫婦でヨーロッパの国々を転々としながら生活をしていました。

その作家は村上春樹さん。

毎年ノーベル文学賞の発表の時には話題になっていましたよね。日本で最も売れている小説家の一人です。

今回ご紹介する『遠い太鼓』は、村上さんがヨーロッパで執筆活動をしていた1986年秋から1989年秋までの3年間の記録が詰まったエッセイです。

小説家として有名な村上さんですが、個人的にはエッセイの大ファンです。僕の二十代の思想形成に一番影響を与えたのではないかと思うくらい。

村上春樹さんのエッセイの中でも最も厚く瑞々しさが伝わってくるのが、この『遠い太鼓』です。

今回は長くなると思いますが、ぜひ最後までお付き合いいただき、ぜひ書店に足を運んで読んでいただきたいです。

ベストセラー『ノルウェイの森』はヨーロッパ滞在中に書かれた

村上春樹さんの作品で最も売れて知名度のある作品は『ノルウェイの森』ですが、この作品がギリシャ、イタリア滞在中に書かれたことはあまり知られていません。

売れ過ぎたことの葛藤、悲しみ

ノルウェイの森がその年だけで200万部も売れて一躍時の人になった村上春樹さんですが、精神的に追い詰められることになりました。

(P400)
ふりかえってみると、この年は我々二人にとってはそれほど良い年ではなかったように思う。(中略)久しぶりに日本に戻って自分が有名人になっていることを知って、僕はなんだか愕然としてしまった。(中略)
でもー―こういうことを言うのが僭越であることはわかっているのだがそれでも〜―僕はどうしてもある種の切なさから逃れることができなかった。どこに行っても自分の場所が見つけられないような気がした。自分がいろんなものをなくしてしまったような気がした。
(中略)だから考えないようにしようと試みもした。俺はこれまで10年間小説家として一応飯は食ってきたんだ、数字なんて今更関係ないさ、売れる売れないは時の運だ、と僕は思嘔吐した。しかしそこには簡単に無視することのできな空気のようなものが生じていた。
(中略)『ノルウェイの森』を何十万部も打ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。表面的には何もかもがうまく行っているように見えたが、実際にはそれは僕にとっては精神的にいちばんきつい時期だった。

村上さんのすごいところはそういう状況の中、原点回帰となる『ダンス・ダンス・ダンス』を書き、それもベストセラーにしたことです。

『ノルウェイの森』は編集者の御礼に書かれたもの
村上さんは飼っていた猫をヨーロッパに渡る前にある編集者に預けました。その時の返礼として書き下ろした長編小説が『ノルウェイ』だったといわれています。

猫を預かった代わりに国内最高部数の本の編集をすることになるって編集者の方も驚いたでしょうね。その編集者は岡みどりさんという。『ノルウェイの森』のヒロインの緑のモデルになったとも言われています。

さて、前置きが長くなりました。村上春樹さんのことをよく知らない方にはあまり面白くない話だったかもしれません。

作家としての苦悩についてもたくさん書かれていますが、本編はいたって軽快な文章が続きます。主にギリシャ、イタリアでの生活について。

これからどんなエッセイだったかご紹介します。

ヨーロッパで執筆活動するきっかけ

1. 分水嶺、精神的組み換え、達成なき加齢

(P16,17)
精神的な組み換えというのは、おそらくこういうことではないだろうかと僕は思った。始終という分水嶺を超えることによって、つまり一段階歳をとることによって、それまではできなかったことができるようになるかもしれない。それはそれで、素晴らしいことだ。もちろん。でも同時にこうも思った。その新しい獲得物とは引き換えに、それまでは比較的簡単にできると思ってやっていたことができなくなってしまうのではないかと。
(中略)歳をとることはそれほど怖くはなかった。歳をとることは僕の責任ではない。誰だって年はとる。それは仕方のないことだ。僕が怖かったのは、ある一つの時期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうことだった。それは仕方のないことではない。

2. 日本で活動することの疲労

現在は日本を代表する作家として知られていますが、当時はどちらかというとコアなファンがいる作家でした。
文章スタイル、作品スタイルともに日本人。
*当時の海外の作品と比べると、突拍子もないストーリーではありませんが、当時は翻訳作品も少なく、

3. ヨーロッパの最初の地ローマ空港にて。空港についた時の述懐

(P28)
我々は引越しをするような気分で、日本を後にした。(中略)家も知人に貸した。外国生活に必要なものをあらいざらいスーツケースに詰め込んだ。
(中略)取り掛かっていた仕事はまとめて片付け、連載はなんとか打ち切らせていただいた。ある雑誌のためにはーーどうしてもそうしてくれと言われたのでーー6ヶ月分のエッセイをまとめ書きして渡した。(中略)やるべきことは山ほど残って、どれだけやっても後から後から用事が出てきた。最後には自分が前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかさえわからなくなってきた。スーツケースに何が入っているのか、いったい幾つのスーツケースを持ってきたのか、それさえ思い出せなかった。

僕が初めてひとり旅をしたのはイスラエルでしたが、イスラエルの空港についた時は確かに体力的には疲れていましたが、高揚感はありました。多くの方がそうではないかと思います。

村上さんはやむにやまれない状況に追い込まれ、前述のように猫を人に預け、家を貸し、仕事を途中で打ち切ってまでも国外に出たかったようですね。

遠い太鼓のざっくりポイント

1. ギリシャ(スペッツェス島、ミコノス島)

オフシーズンの寒風吹きすさぶギリシャの小さな島でのサマーハウス生活。村上さんは基本的にはほとんど出かけず小説を書き、その合間に日常の出来事をスケッチとして書き残しています。
邪推ですが、大したイベントは起こっていません。あえていうなら、普通の日常も筆次第ではユニークなものになるということがわかります。

熱狂的な選挙

・ギリシャでは選挙期間はみんな実家に戻る(故郷でしか投票できない)、しかも投票に行かないと法律によって罰せられます。
村上さんがギリシャに着いた日は選挙の前日で、法律でレストランなどで酒が飲めな買ったそうです。選挙になると人々は熱くなるので、酒が入ると事件が起こる体とか。
さすが世界で初めて民主制が起こった国ですね。

女性の怒りとは?

ある日トラベラーズチェックを現金化するのを忘れた村上さんは奥さんから激怒されます。

でもそういうこと(注:お互いに責任がある点)を言い出すと話がどんどん長くなるので、僕は黙っている。僕が結婚生活で学んだ人生の秘密はこういうことである。まだ知らない方はよく覚えておいてください。女性は怒りたいことがあるから怒るのではなく、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときにちゃんと怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ。

これは非常に印象的というか、これを覚えていたおかげで僕は妻の怒りをいくばくかはうまくかわしてきたと思う。(10発中8発は着弾していますが)

2. イタリア

村上さんはイタリアの公共サービスを味噌糞に言う。ただおかしみが含まれているというか、クラスの憎めない奴といった風に。

例えばこういう一説。航空券の払い戻しについて。

もしギリシャで困ったことがあったらとにかくGNTO(ギリシャ政府観光局)に行くべきである。もしイタリアで困った目にあったらあっさり諦めるのが利口である。イタリアで一度手元を離れた金は200年立っても絶対に帰ってこないし、たとえ500年待ってもイタリアの役所は有効に機能しないから。

『イタリア郵便事情』(P494)

イタリアの壊滅的な郵便システムについて、皮肉と諦観が入り混じった文章で軽快に描かれています。

冒頭は以下の文章から始まります。

もしイタリアという国の特徴を40字以内で定義せよと言われたら、僕は「首相が毎年替わり、人々が大声で喋りながら食事をし、郵便制度が極端に遅れた国」と答えるだろう。この三つの条件を同時に充たす国は、少なくとも北半球ではイタリアくらいしかないはずである。

この本で初めて知りましたが、イタリアから、あるいはイタリアへ手紙を送ってもほぼ届かないそうです。これは本当にすごいというか、そんな国があるんだ(現在は知らないけど)というのが本音です。
僕らにとっては、郵便制度というインフラは水やガスと同じで、どこでも淀みなく普通に(日本の普通ですね)あるという感覚しかないですよね。

僕の持っているあるアメリカのガイドブックを見ると、第二次世界大戦中にアメリカ軍のGIがローマから故国に向けて書いた手紙が1960年代になってようやく到着したというエピソードが乗っていた。無茶苦茶な話だとは思うけれど、これは決してあり得ないことではない。少なくとも、この話をしてもイタリア人はあまり驚かない。そういうことは現実的にあり得ない話ではないからである。「届いただけラッキーだよ」というのが、彼らの一致したクールな感想だった。

イタリアの郵便を使うと日本に原稿が届かない可能性があるため、原稿を送るためにわざわざドイツに出国して郵便局から送るという。当時はまだヨーロッパ内の移動でもパスポートが必要な時代なので非常に手間です。

『イタリア泥棒事情』

村上さんのイタリアいじり(?)はまだまだ続きます。

帰国前日に奥さんがひったくりに遭い、パスポートやクレジットカードを盗まれて大変なことになります。人通りが多い広場で、奥さんとひったくりが揉み合っていたにも関わららずイタリア人は誰も助けてくれません。
さらにストラップが切れて男がバッグを持ち去ってしまってからのイタリア人の対応にも村上さんは腹を立てます。

(P509)
やっとみんなは事件に気づいたふりをして彼女の方にやってきて「大変だったねぇ」「まあここに座りなさい」「警察に電話してあげよう」「あれはイタリア人じゃない。ユーゴ人だ」と口々に慰めた。そう言う時のイタリア人というのはまた実に親切である。口で言うだけならただだし、楽なものだ。

その後レストランで、近くに座っていた若いカップルがバッグを盗まれてレジで困っている場面に遭遇する。

(P516)
間もなくヘッド・ウェイターがやってくる。そして同情する。彼はものすごく辛そうな顔をする。そして悲しそうに「首を振る。本当にいかんことです、情けないことです、恥ずかしいことです、お腹立ちになるのはごもっともです、当然のことです、お気持ちは実によくわかります、シニョーレ、しかし盗んだのはきっとユーゴ人です・・・要するに店には責任がないのである。僕はこれをイタリア式バケツ・リレーと呼ぶ。みんなが容量よくひょいと体をかわして〈責任〉と言う名のバケツをうまく受け取らないようにしようとするので、いつまで立っても火事が消えない。

この文章の皮肉は実に面白い。思わず声を出して笑ってしまった。

旅行盗難保険をかけておいてもイタリアでの盗難には適用されないこともあるとか(笑) イタリアって恐ろしい国ですね。

こんな感じで、『遠い太鼓』は
小説家としての葛藤、何気無い日常生活のスケッチ、外国文化の発見やアイロニーといったカラフルなエッセイ集です。

30年前のヨーロッパの話とはいえ、新たな発見があると思います。

現代の旅行とは異なる点

・少ない情報を元に、現地についてから知る情報が多い

村上さんと奥さんは近隣諸国にドライブに出かけたりしますが、例えばホテルは現地でフロントに声をかけて宿を決めます。
今では考えにくいですが、当時はインターネットがなく、行く先々の情報は英語で書かれたガイドブックくらいです(それも写真が少し載っていたり載っていなかったり)。現地に行ってからわかることが多かったでしょう。
逆に考えると、いまはネットでくまなく調べてから行くことができるので便利ではあるし、トラブルも少ないと思いますが、出発前の情報に縛られるというデメリットもあります。

・打合せは編集者が来る

当時は国際電話が異常に高く、音も悪い。仕事で打ち合わせをするなら、一方が現地に赴くこともしばしば。
今なら手元のスマホでビデオ通話して、ファイルを送りながらリアルタイムで打ち合わせができます。

・原稿は、紙の原稿用紙を国際郵便で送る

『イタリア郵便事情』の段でも触れましたが、当時の原稿は手書きが基本。さらにメールもないので、手書き原稿を国際郵便で送る以外に方法はありませんでした。FAXはあったかもしれませんが、国際電話は高いし、小説の原稿全てを送るのは現実的ではありませんよね。

・トラベラーズチェックで現金化。
今ならクレジットカードでキャッシングして現金を引き出すことができますが、当時は国外の。営業時間中の現金化を忘れるともう一巻の終わりです。

こう見ると、恐ろしく便利な世界になりましたよね。

現代のノマドワーカーとの違い

常駐的旅行者

(P20)
このふたつの小説には宿命的に異国の影が染み付いているように僕には感じられる。それらの異国の街で僕らは恐ろしく孤独だった。知り合いと呼べるような人もほとんどいなかったし、僕らの話すことのできる言語は友達や知り合いを作るにはいささか不十分なものだった。
おまけに、僕らの立場はあらゆる意味あいにおいてひどく中途半端だった。僕らはやってきて、見るべきものを見て、そのまま通り過ぎていく観光的旅行者ではなかった。でも、そこに止まって生活の根をおろす恒久的生活者でもなかった。そして僕らはどのような会社にも団体にも属していなかった。僕らはあえていうならば、常駐的旅行者だった。本拠地としての住所をローマに据えてはいたが、気に入った場所があれば、そこに台所のついたアポートメントを借りて何ヶ月か生活し、そしてどこかに行きたくなるとまた別の場所に移っていくーーそれが我々の生活だった。

「常駐的旅行者」という表現は面白いですね。

なぜ30年も前に、(今でいうところの)ノマドライフが送られたかについて再確認したいと思います。

改めて作家という仕事について

僕が考えるノマドワーク化な仕事は以下の条件を揃えていることです。
・成果物によってのみ評価がなされる。
・時間、場所、道具に縛られない。かつ、個人の持ち物で仕事ができる。
・基本的に一人でできる。(他人と同時に作業をしなくて良い)

作家というのはこれを全て兼ねそろえている。

準備はやはり必要
村上さんは『ノルウェイの森』の前はコアな作家でした。そこまで大ベストセラーを出版しているわけでもなく、金銭的な不安を抱えて日本を出たそうです。

本田直之さんの『ノマドライフ』にも書かれていましたが、準備は必要ですね。

村上さんは完全な思いつきでギリシャで生活しようと思ったわけではなさそうです。一年前から明治学院大学のギリシャ語講座をとっていたことがのちのエピソードで語られています。1年以上かけて準備していたのですね。

僕はこの『遠い太鼓』に憧れて、いわゆる聖地巡り(実際の場所にファンが行く)こともして観ました。それについてはまたどこかで記事にまとめたいと思います。

それではまた。

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