本記事から全7回に渡って、イスラエルからギリシャに船で脱出する方法について書きます。
初めにことわっておくと、これはイレギュラーな方法です。
2012年7月に話は遡ります。2012年当時、この方法でイスラエルからヨーロッパに渡ったのは僕だけではないかと思います。
なぜイレギュラーな方法をとらざるを得なかったか?
当時僕はイスラエルに住んでいて、あろうことかオーバーステイ(不法滞在)状態でした。
まったく予期しないまま不法滞在に陥りました。
この災いは静かに僕のイスラエル生活を侵食し、僕がその事実を知った時にはイスラエルからすぐに他国へ移らなければならない状況でした。
日本国大使館に助けを求めたところ、駐在員には嘲笑され、一念発起して単独で国外脱出を図りました。空路と陸路を断たれた僕には、航路しか選ぶべき道がありませんでした。
結論からいうと、僕はそれを成し遂げ、その後ヨーロッパをぐるりと周り、モロッコまで行きました。
あの時日本に強制送還されていたら、ドイツで旧友と再会することも、ポーランドで恋に落ちることも、モロッコの砂漠で世界一きれいな夜空を見ることもなかったでしょう。
なぜあんなことを成し遂げられたのか?
今だに不思議です。
イスラエルの旅は僕にとって人生初の一人旅でした。
イスラエルからイレギュラーな方法で出国する方法について、もちろん僕は知りませんでしたし、僕の周りに答えを知っている人はいませんでした。
僕が敬愛する作家レイモンド・チャンドラーの小説で、こういう一節があります。
私が常々驚かされるのは、聞いて回れば大抵の事は簡単にわかると言う事実に、人々があまり思い当たらないことです。
『ロング・グッドバイ』(第41章)
もしあなたがイスラエルにいて、[イスラエル 船 出国]などのワードを検索してこの記事にたどり着いたとしても、ここに書かれた内容は参考にならないかもしれません。
僕がイスラエルにいた2012年は出国審査が稀に見る厳しい時期だったので、もしかしたら今は簡単な方法があるかもしれません。
振り返ると、2012年というのはイスラエル、ユダヤ人、外国人にとってタフな年でした。
あくまで、2012年当時の記録として読んでいただけたら幸いです。
あなたの出国の手助けにはなれないかもしれませんが、ここに書いてある考え方・ゴールの見つけ方は国外でトラブルを抱えている人には参考になるかもしれません。
Bon voyage!
さて、本題に入りましょう。
この話は、2012年6月のよくある普通の一日から始まります。
≫次のページは
第1章:『こうして僕はイスラエルで不法滞在者となり、日本に見捨てられた』
≫前書き:本記事
≫第1章:『こうして僕はイスラエルで不法滞在者となり、日本に見捨てられた』
≫第2章:『イスラエル脱出ルートの模索:厳格な空路、不安定な陸路』
≫第3章:『イスラエルからギリシャへの出国:航路という選択肢』
≫第4章:『【イスラエル出国当日】第2の故郷を追われる外国人の心境について』
≫第5章:『【貨物船内の様子】ナンパ用ギリシャ語、一夫多妻制の苦労を学ぶ』
≫最終章:『ギリシアに上陸してアテネに絶望:イスラエル逃避行で学んだことは責任の取り方』
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